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[メモ2ーU−二ーA−A−弐]についてのコメント。

「表現の自由」といえば、何でも通るのかと言えば、そんなことはない。
分かり易い例が、痴漢行為だ。痴漢は女性への愛の表現である。
女性への行為の表現である。見方によっては、これほどの「純愛」は無いかもしれない。
決定的な違いは「相手が嫌がっている」ということだ。
いくら一方的に思いつめた好意でも、相手がそれを不快と思っている限り、その好意を
相手に「強制」することは出来ない。
それは犯罪となる。ところが「日本共産党の関係者」にはこの理屈が分からない。
なぜなら自分たちの行為は「正義」であると信じているからだ。
私の尊敬する山本夏彦氏は「(自民党がいくら)汚職(してもそれ)で国は滅びないが
(日本共産党の)正義は国を滅ぼす」と喝破した。
相手が不快と思っていても己が信じる正義は押し付ける、強制する。
それでもその正義を拒絶すれば、相手を逮捕し拷問し殺す。
過去100年間、共産主義者はこうして世界中で数千万〜数億人を殺してきた。
ロシアで、中国で、カンボジアで、アフガニスタンで、チェコで、ポーランドで、ルーマニアで、ユーゴスラビアで、ハンガリーで、アフリカ諸国で。。。
(11月15日(土)17時57分12秒)
↑の続き
 
どんな「善意」もあいてが不快と思えば「犯罪」となりうる。
善意には規律が必要なのだ。表現の自由には自ずと限界があり自己規律が求められるのだ。この「たが」がはずれると、自由からの逃走が始まる。
(11月15日(土)17時57分48秒)
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オリジナルはゆいぼーど&ゆいぼーと